書評ブログ

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『人生の勝算』前田裕二

2019年。2冊目。

人生の勝算 (NewsPicks Book)

人生の勝算 (NewsPicks Book)

 

 

 NewsPicks から送られてきた前田裕二さんの『メモの魔力』を読んで、この方の他の著作も読んでみたいと思い、購入した本。社会人2年目の今だからこそ、響く言葉がたくさんありました。この本を読んで強く感じたのは、「人生のコンパスを持つことの大切さ」と「圧倒的な努力をする先を見極めること」の2つです。本の中の言葉を引用しながら、この2つについての考えを書いていきたいと思います。

 

 「人生のコンパス」とは「人生の価値観、向かうべきベクトル(o.236)」とエピローグで話されています。自分の目標を達成するためには、努力をしなければいけません。しかし、その目標がなければ、いかに今目の前のことをとにかく頑張ろうと思っても、なかなかモチベーションはあがらないものです。私自身もそういった経験は何度もあります。よく言われることですが、学校にいる間は、定期テストや受験、それ以外にも部活や行事など、最初から目標が与えられているものばかりです。しかし、社会に出た時に、そういった全員に共通の目標は1つもありません。それぞれが見つけていかなくてはならないものです。だからこそ、前田さんの言うように、「人生のコンパス」を持っている人と、持っていない人との間で、大きな差が出てしまいます。私もどちらかというと持っていない側の一人です。例えば、前田さんの兄は以下のような「人生のコンパス」を持っているそうです。

 

僕が彼(兄)のことを尊敬している理由は」、「決めているから」です。他のどんな事柄よりも、家族に時間を使うこと、家族を大事にすることに、「決めている」。(p.154)

 

これは前田さんとお兄さんの生い立ちに強く関係していますが(具体的には本書をお読みください)、こういった「人生のコンパス」を持っている人は案外少ないのではないでしょうか。「人生のコンパス」を持つための具体的な方法は書かれていませんでしたが、自分の内面を深く深く掘り下げることが大事だと書かれていました。新著の『メモの魔力』には、このいわゆる自己分析の大切さがメモの効能とともに書かれていますし、自己分析のための1000問も巻末にあるので、「人生のコンパス」を見つけたい方は必読だと思います。私も最初の100問はやってみるつもりです。この「人生のコンパス」を持つことが、人生の進むべき指針となり、燃料となると強く感じました。そして、その燃料をどういったふうに使うか。それが、「圧倒的な努力をする先を見極めること」ということです。社会人になって私が一番難しいと思っているのは、何に対してどう努力したら良いのかが、よく考えないと分からないことです。定期テスト、受験などといったものに対して、傾向に沿って勉強するしかありません。しかし、例えば営業であれば、ヒアリング能力、プレゼン能力、商品知識、戦略立案などなど、やるべきことが多くあります。その中で何をやれば良いのか、やみくもにやっても有限な時間を無駄遣いしてしまうことになります。自分はここで他者・他社と差別化する、そういったポイントを見つけて、そこに自分の努力を充てる。前田さんは、以下のように言っています。 

 

頑張るという言葉を分解すると、「見極めて、やり切る」ということになります。(p.142)

 

とても分かりやすいです。「やり切る」の前に「見極め」がなければならない。いくつかのエピソードもこの「見極め」に通ずるものがとても多かったように感じました。ただ、その「見極め」たものに加えて、以下のことも大事になってきます。 

 

この当たり前のことを、圧倒的なエネルギーを注いで誰よりもやり切る。それがビジネスで成功するために必要なことだと、宇田川さんの背中から学びました。(p.103)

 

それは、挨拶や時間を守るなどの「当たり前」のこと。これをやり続けるだけでも相当な人間になれるのではないかとも感じました。「当たり前のこと」、そして、「見極めたこと」に努力を注ぐことで、「人生のコンパス」が指す方向に向かえるのです。

 

今年初めの2冊は前田裕二さんの本でした。「人生のコンパス」を見つけ、努力を注ぐ対象を「見極め」、自分の「人生のコンパス」に大きく前進する1年にしたいと思います。

『ぼくのメジャースプーン』辻村美月

2016年。107冊目。

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

 

所属する団体の友人からFacebookを通しておすすめされた本。彼女に送った感想をもとにこの本を読んで感じたことを書いていきたいと思う。自分が今までずっと読みたかった、自分と似ている主人公が出てくる本だった。

あらすじ

小学校4年生の「ぼく」とふみちゃんが通う小学校では、うさぎを飼っている。ふみちゃんはうさぎの世話が大好きで、自分が当番ではない日にも毎日餌をやりに行っている。そんなある日、1人の大学生によって学校のうさぎが惨殺されてしまう。その第一目撃者となったふみちゃんは、あまりにも悲惨なうさぎたちの姿にショックを受け、それ以来ことばもしゃべれず、耳も聞こえず、うつろな状態になってしまう。主人公の「ぼく」は、条件提示能力という力をもっていて、うさぎ惨殺の犯人にその力を使おうとする。条件提示能力とは、「もしも『何か』をしなければ、『ひどいこと』が起きる」と相手に伝ると、相手は必ずどちらかを選択しなければならなくなる能力のことだ。この力を正しく使えるようになるために、「ぼく」は親戚の秋山教授のところに1週間通うことになる。その中で、条件提示能力のことが詳しく明かされ、「ぼく」が葛藤の中、どのような「言葉」で犯人に条件提示をするのか、考えていくというストーリーだ

私は、この物語を読んで大きく5つのことを感じた。次からそれぞれ書いていきたい。

孤立と孤独

1つ目は、最初にも書いたが、主人公のふみちゃんが自分と重なること。

みんなから頼りにされて慕われてるんだけど、その反面、ふみちゃんには特定の仲良しがいない。女の子って、男子以上に友達同士でグループになったり、二人一組の親友ペアみたいなものを作って動くのに、ふみちゃんは一人でいることが多かった。だけど、本人はそれを気にしてる素振りを見せない。(p.20-21)

自分もそれに近い。決して孤立しているわけじゃないし、いろいろな場面でリーダーになる時が多いけど、特定の仲良しはほとんどいたことがない。ただ、あまりそれを気にしていない。1人が特別好きというわけでもないし、誰かと一緒にいたいともあまり思わない。でも、ふみちゃんの一番嬉しい言葉は、「ふみちゃんの友達だっていうことが一番の自慢だよ」と言われることだ。考えてみると私も誰かに自分を必要とされていること、それも特別な誰かとして認められることが一番嬉しいかもしれない。

 

人は他人のためになれるのか 

2つ目は、人はどこまで他人のためになれるのか、どこまでも自分のためにしか生きていくことはできないのか、ということだ。特に私は、一見他人のためにしていることも、それは他人にいいことをしている自分を良く見せたいという思いから、という時が多い気がする。最近は自分は、そういう人間なのだろうと割り切ってるいるが…。それに対する作中での疑問を、主人公である「僕」がこのように投げかけている。

「誰かが死んで、それで悲しくなって泣いても、それは結局、その人がいなくなっちゃった自分のことがかわいそうで泣いてるんだって。人間は自分のためにしか涙が出ないんだって、そう聞きました。本当ですか。」(p.324)

それに対する答えを、秋山先生は次のように答えている。

「馬鹿ですね。責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しいことが嫌だから、そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです。」(p324)

人間は究極的には「他人のため」になれないのかもしれない。それでも、「自分のため」という気持ちで、他人と結びつき、他人と執着する、そういう生き物なんだっていう言葉に、自分が少し救われた気がした。

 

自分の中の「正しさ」

3つ目は、自分の中に「正しさ」を持つことの大切さだ。正直、秋山先生の話や、条件提示能力ゲームの設定は理解するのに時間がかかった。それでも、そこで秋山先生に難しい言葉を語らせて、力を持つ「僕」にしっかりと考えさせて自分の意見を持たせていたのは、「僕」の中で「正しさ」を持たせるためなのだろう。辻村さんは粘り強い作家だと感じた。最後に「僕」が条件提示ゲームで選んだ言葉は、秋山先生の言葉や考えとは違った。それは、「僕」が自分で「正しい」と思ったことを選び取った証だと思う。「正しさ」とはその人の中の軸と言い換えられるかもしれない。私自身は自分の「正しさ」ではなく、周囲の人の「正しさ」で判断してしまうことが多い。「正しさ」を持っていること、それはその人の人間としての強さの証だと思う。

 

作中でサンタクロースがいるのかいないのか、と話し合う場面がある。「僕」はいると信じていたが、周りの友達すべてに「サンタクロースはいない」と言われてしまう。内心では反論したかった「僕」だが、周りにあわせて「いないよね」と言ってしまう。それに対して、ふみちゃんは「僕」のことを「本当は正しいのに」と慰めてくれる。それに対する「僕」の気持ちが書かれてある部分最後引用する。

もう知ってる。本当はサンタクロースなんていなくて、あの時に間違っていたのはぼく。ふみちゃんはそれを知っていた。知っていたのに、ぼくの方を「正しい」と断言した。先生もふみちゃんも、自分の中に何が正しいのかをきちんと用意して持っている。(p.230)

 

人間の命と動物の命

4つ目は、人間の命と動物の命、どちらが大切かということだ。そして、「生物」なら私たちはどこまでなら、良心の呵責なく殺せるか、ということだ。この物語の中に出てくるこの問いは、子どもたちに命ということについて考えるきっかけを作るのではないだろうか。秋山先生の言葉を引用する。

僕は普段教育学部で、将来学校や幼稚園の先生になる人たちを相手に授業をしているのですが、一度授業で宿題を出したことがあります。もし子どもたちに『どうして蠅やアブラムシを殺してもいいのに、蝶やとんぼを殺しちゃいけないの』と聞かれたらどう答えるかと。」(p.169)

ここに出てくる問いは、突き詰めればどこまでも広げられる。生物の命の軽重に境界はない。人それぞれだ。作中では、うさぎが惨殺されるが、犯人の罪状は「器物破損」だ。社会では、線引きできないことがあふれているが、法律によって共通解として1つの線引きがなされている。だから、「器物破損」になってしまう。この言葉がうさぎを軽く扱っているなどと言うつもりはない。そうではなく、例え法律で共通解があったとしても、自分が命をどう考えるのかということを自分の中で持っている必要があるのだ。

私は、いつか教師になりたいと思っている。ここで使われている問いは、いつか自分が教師になった時に生物関連の説明文などがが出てきたら副教材で使って、子どもたちに命について考えるきっかけを与えたい。

 

物語の空白

5つ目は、作品における空白の重要さだ。この物語を読んでいて、秋山先生の過去など、書かれていない部分が多いと感じた。小説や他の文章の書き方として、短く書いてから膨らませる方法もあると思うが、きっと辻村さんや多くの作家は設定や登場人物などをとにかく書き出して、それを物語をより良いものにするため、伝えたいことを取捨選択するために、切り取って作品を作っているのだろう。文学理論などを学んでいる人だったら周知の事実かもしれないが、この作品を読んで、初めてそれは意図的に仕組まれているものなのだと感じた。作者はきっとこの作品のことをもっと考えていて、登場人物の背景やその後をもっと知っているが、それを作品のために隠しているのだ。それを想像することで、読者は物語をより楽しめるのだと思う。

 

 

最初にも書いたが、『ぼくのメジャースプーン』は友人から薦められて読んだ本だ。きっと薦められなかったら、一生読まなかった本だったと思う。それでも、読んでみてこれだけのことを学び、気づき、感じることができた。これからも薦められた本を読んで自分の世界を広げていきたい。

『新編 教えるということ』大村はま

 2016年。106冊目。

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

 

教師を目指している友達に以前薦められて、ずっと読もうと思っていた本だ。9月末から1週間に1回高校生に授業をするようになり、改めて教えることの難しさを感じている。そこで、この本から教えることのヒントを得たいと思い、手に取った。

 

「教えるということ」「教師の仕事」「教室に魅力を」「若いときにしておいてよかったと思うこと」の4回の講演をまとめた本だ。教師という職業がプロフェッショナルな仕事だということ。成果を出さなければいけないということ。そのためには、教師が学び続けなければならないのだということ感じた。

内容の目次

  • 教師の専門性―教師は何でお金をもらっているのか―
  • 教師の姿勢
  • うまくいったと思うことを書き残しておく
  • 直接伝えるのではなく、気づいたらやっているように
  • 教材作成は日ごろのアンテナと準備が大切
  • 優劣を超える教室へ
  • 作文の具体的な指導

 

教師の専門性―教師は何でお金をもらっているのか―

授業が面白くできたこと、生徒との信頼関係を作れていること、これらはとても大切なことだ。しかし、忘れてはいけないのは、それは教師の自己満足のためではなく、あくまで子どもたちに力をつけさせるための手段であるということだ。全編からそうした大村先生のプロフェッショナルな教師としての姿勢を強く感じた。

ところで「優しくて親切」などというのは、「一生懸命」と同じことで、あたりまえのことです。その反対だったらどうしましょう。「優しくて親切」などは長所でもなんでもない、教師としてあたりまえのことです。そんなことなんでもないとお思いになりませんか。「あたたかな心」もそうです。教師となる人だったら、誇りにもならなければ、長所でもない。あたりまえに出勤したと同じことです。 そうではなくて、教師は専門家ですから、やっぱり生徒に力をつけなければだめです、ほんとうの意味で。こうした世の中に生きぬく力が、優劣に応じてそれぞれつかなければならないと思います。(p.60)

優しいことも親切なことも当たり前。子どもにどのような力をつけさせるかということを考え、それを授業や生徒指導で実践していくのが教員の専門性なのである。そして、それは新卒やベテランに関係なく教師に求められていることだ。

みなさんは、教育の場が、いかにかけがえのないところか、また若いから失敗してもよいということは絶対にないのだと、はっきり認識してほしいと思います。つまり、子どもはふたたびその日を迎えないし、その時間も迎えない。教師たる自分は、最高の自分でなければならないことはいつだって変わりはない。若いということは、なんの申しわけにもならない。失敗したら、もう償いようがないのです。こういうことを考えますと、教師というものは勉強しなければならないものだとつくづく思います。(p.26)

若手、中堅、ベテラン、そのどれも子どもからしたら、同じ立場にいる「先生」なのだ。それぞれの強みを生かして、対等に子どもに力をつけさせなければならない。そして、先生が目指すところを次のように述べている。

親も離れ、先生もいなくなった時、子どもは一人でこの世の中を生きぬいていかなければなりません。その時、力がなかったら、なんとみじめでしょうか。国語の教師としての私の立場で言えば、その時、言葉の力が足りなかったら」、いかにみじめかと思います。平常の、聞いたり、話したり、読んだり、書いたりするのに事欠かない、何の抵抗もなしにそれらの力を活用していけるように指導できていたら、それが私が子どもに捧げた最大の愛情だと思います。(p.109)

大村先生の専門教科は、国語なので言葉の力と述べていた。他にも教科だけでなく、学校生活を通して、子どもたちにどのような力をつけさせたいのか、考えて実行することが教師のやるべきことなのだ。授業や生徒指導、日々の生徒との関わりを通して、先生は子どもたちに何を残すことができるのか。何年後かに振り返った時に、自分が教えた何かが1つでも生きていれば教師冥利に尽きるだろう。大村先生は、先生に教えてもらったことさえも思い出さないけれど、気づかないうちにその子の力になっていたら、一流の教師だともおっしゃっていた。

 

教師の姿勢

教師の姿勢についても大村先生ははっきりと述べている。私は2つの部分に感銘を受けた。1つ目は、「研究」をし続ける姿勢、つまり学び続ける姿勢だ。

私はまた、「研究」をしない教師は「先生」ではないと思います。(略)とにかく、「研究」ということから離れてしまった人というのは、私は、年が二十幾つであったとしても、もう年寄りだと思います。つまり、前進しようという気持ちがないのですがから。それに、研究ということは苦しいことです。ほんの少し喜びがあって、あとは全部苦しみです。(略)なぜ、研究をしない教師は「先生」と思わないかと申しますと、子どもというのは「身の程知らずに伸びたい人」のことだと思うからです。(略)勉強する苦しみとその喜びのただなかに生きているのが子どもたちなのです。研究している教師はその子どもたちと同じ世界にいます。(略)研究をしていて、勉強の苦しみと喜びをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。私は、これこそ教師の資格だと思います。(pp.27-28)

私が所属団体の活動で、多くの先生方に取材をしてきて感じたことは、素晴らしい実践をなさっている先生は必ず学び続けているということだ。それは年齢に関係なく、20代であれ50代であれ、学び続けている先生の話は面白い。今は教員の多忙化が盛んにさけばれている中で、自分の時間を作って「研究」し続けている先生が、やはりどの時代でも共通の教師の姿勢なのだろう。

2つ目に共感した部分は、「新しいことを生み出す」姿勢だ。教科書があって指導書もある。その中で、目の前の子どもたちのためにどのような教材を作るのか、どのような授業を作るのか、考えていかなければいけない。その時に大事なのが、どうやって自分のオリジナリティを出すかということだろう。

もし人間にアイディアがなかったら、機械の方がずっと上等な存在です。それを考えれば、アイディアの浮かぶことこそが貴重な人間らしさではないでしょうか。どうか、みなさん、人の言っていることをそのまま受け取って、そのとおりにやって、そしてなんとかお茶を濁す、そういう老人めいたことをなさらないで、「新しいことを生み出していこう」となさってください。(p.36)

1970年に書かれたものだが、ロボットが発展した現在をこの時点で予測して考えを述べている。ただ動作をするだけでなく、自ら学び動作を改善する人工知能も発達していきている。そのような中で、人間にできることは大村先生もおっしゃっているように、アイディアを生み出すことだろう。私の好きな言葉に、社会学者の上野千鶴子先生の「情報の真空地帯にオリジナリティは生まれない。」がある。大村はま先生が言っている「新しいこと」も似ているのではないだろう。つまり、アイディアというのは、0から思い浮かぶものではない。自分がいろいろな人からたくさん学んで、いろいろな本を読んで、そして、それを頭の中でつなげて(リンクさせて)自分のオリジナリティを発揮して新しい実践を作っていくということが大切だということなのだ。

 

うまくいったと思うことを書き残しておく

教師の姿勢の続きとして、「若いときにしておいてよかったと思うこと」から引用をする。私が一番共感したのは、「自分のやったことを書き残しておく」ということだ。言葉を言い換えると、「振り返る」ということだろう。

自分のやった仕事のいいところ——これはうまくいったというのを、書き残しておく。これは仕事に対する愛情ではないでしょうか。愛情のようなものです。自分の仕事がとてもかわいくなって、そしてやっぱり腕前の上がることではないかと思います。みなさんも何かうまくいったこと、うまい発言ができたり、うまい指導ができたりすることがあるでしょう、教室の中で、ぱっと。それをすばやく書きとめておいて、自分の宝になさるとよいと思います。それはびっくりするような自分の栄養になるものです。(pp.224-225)

 できなかったところを反省するのももちろん大切だ。そして、自分がうまくいったことをふり返るのは、自分が元気にもなるし、自分の仕事に誇りを持てるようにもなると思う。時間がない中で、少しのタイミングを見つけて振り返りをしていきたい。

直接伝えるのではなく、気づいたらやっているように

今年の6月に教育実習で感じたことはたくさんあるが、その中の1つに「直接伝えるのではなく、気づいたらやっているように話す」ということがある。例えば、要約をする授業で、生徒に「要約してください。」と言うのではなく、「筆者の言いたいことはどこに書かれてあるかな?」「具体例はどこにあるかな?」などと聞いていって、気付いたら要約がなされているように指導するべきだ、と指導教諭の先生から教わった。つまり、こちらがやってもらいたい事を直接言うのではなく、生徒が分かりやすい具体的な指示を積み重ね、それが目標に進んでいくように伝える、ということだ。これは、授業だけでなく、生徒指導でも通ずるところなので、大事にしたい。大村先生も、この点を教師の専門性として強調していた。

教室は、「やってごらん」という場所ではないからです。それを自然にやらせてしまう場所だからです。「もっとよく読んでみなさい」「詳しく読んでごらん」そういう場所ではなくて、ついつい詳しく読んでいた——そういう自覚もないぐらいに——詳しく読む必要があるのでしたら、その場で詳しく読むという経験そのものをさせてしまうところです(略)ですから、学習そのものを、やらせてしまわないとだめだと思います。(p.207)

次に作文指導に関して具体的な例を示しながら、「気づいたらやっている」ことについて述べている。その時に大切なのが、教師の技術だと、はっきりと言い切っている。

 子どもは「文章は自分で書くもんだ」と心得ていますから、教師がかりに来てくれなくても、うらみはしません。それどころか、書けない自分が悪いと思っているでしょう。かわいそうです。「書くこと」を頭に浮かべさせられないような教師だということを、子どもはうらむことを知りません。けれども、教師の方は知っていなければ困ると思います。書かわせられないのは教師の恥なのです。(p.52)

 まず、「一生懸命なさい」とか、「書き慣れなさい」とか、そういう指示だけすることば、子どもに指図する、命令する、そういったようなことは、あまり先生の言うことばとして価値あることばではないのではないか。つまり、命令すればやるものと思ったりすることが、教師としての甘さで、命令が出ても、その通りにやる人やれる人がはたして何人教室の中にいるでしょうか。やらないのはその生徒が悪いのだと言ってしまっては、本職を破棄したことになります。言ってもやらない人にやらせることが、こちらの技術なのですから。(p.112)

私は独話によって指導しているので、形でいえば、古い形の授業なのです。しかし、自分で自分の話をすることによって、どういうことを書きなさい、といったお説教的なことを言わず、それ自身が見本でもあり、耕しでもあり、指導でもあるようにしたわけです。何か着眼点を育てるとか、ものの見方を深くするとか、旅行なら旅行、社会生活でも日常生活でも、見方を深くするということは、そのような教師の身を挺しての実物がなければ、なかなかできないように思います。この例を見つけるためには、だいぶ苦しみました。(pp.133-134)

  それは、簡単なことではない。苦しみながら身につけていく技術なのである。逆に考えると、人柄や性格などの天性のものではなく、努力で身につけられるものなのだから、どのような先生でも可能だと言えるだろう。

 

教材作成は日ごろのアンテナと準備が大切

大村先生は、戦後間もない教科書も筆記用具もない時に、子どもたちの人数分の新聞の切り抜きを用意して教材にしていたということw聞いたことがある。この本でも、同じ教材は2度と使わなかったと書いている。そこまでできる人が全てではないと思うが、教科書を子どもにしっかりと読解させることを前提として、他からオリジナル教材や読解の助けになる副教材を用意する工夫は、私が先生になってからも実践していきたい。

ここからは、大村先生の教材作成の例を引用する。引用する部分は、新聞の投書欄をどのように教科書の教材と結びつけるかという部分だ。新聞の投書の内容は、ある警察官が普段の職務中は走りやすい道路を、休日に走ると走りにくく感じたというものだ。職務中は、周りの車がパトカーを見る警察だと思って速度を緩めたり、道を開けるけれど、そうでなければ周りの車も何も考えず飛ばして走るから、走りにくいのだというのだ。

この「形」という小説は、私が前から知っていたもので、昔、教科書に載っていたこともあります。たいへんおもしろい話だと思っていました。そこへパトカーの運転手の話が出てきたのです。たちまち、頭の中でつながりました。これを何の教材にしようかということになりました。このごろのことばで言いますと、「重ね読み」のように使えるわけです。重ね読みの材料は、なかなかないものです。これはとてもいい題材だと思って、それを使ってみたりしました。「形」という小説がまず読んであって、そういう下地のあるところへ、パトカーの話がたまたま新聞の投書欄を見ていたら目にとびこんでくる、そこへ二つのことがらがつながって、教材というものができてくるわけです。(pp.137-138)

私自身も教育実習で、説明文で学んだ概念を新聞の投書欄を使って実践するという授業を行った。日々どういう授業をしようかと考えるながらアンテナを張ることで、教材となる文章や出来事が見つかるのではないだろうか。そうして意識してあらゆるものを見ると、いつもは流してしまう言葉や景色も教材に変わる感覚は少し分かる。続いても教材準備に対する大村先生の考えが書かれてある部分の引用だ。 

指導者が考えたものを、そのまま与えるわけではありません。必要ならば与えることのできる用意です。この用意が指導者の胸に十分なときに、初めてそのテーマなり形なりを考えている子どもの指導者でありうるのだと思います。考え、苦労している子どもに、ヒントを出すなりして、具体的に助けることができるのだと思います。(p.192)

準備してきた教材がそのまま使えるわけではない。できる限りの準備をしておいて、クラス全体に、もしくは個々で、ゴールに向かって躓いている時に、手助けとなる教材を渡してあげるのだ。だから、準備してきたものは全く使わないかもしれないし、1人だけに必要かもしれない。そうして準備してきたものは、例え使わなかったとしても、今後の授業準備や経験として生かされるのではないだろうか。

私も教育実習で、説明文に書かれてある概念を分かりやすい例で書いていた本の一部などを補助教材として準備しておいた。クラスによっては時間の都合で使えない時もあったが、用意しておいて良かったと思っている。自分の理解が教科書教材の理解が深まったし、必要に応じて子どもたちに提示できたからだ。

 

作文の具体的な指導

次に指導について具体的に書かれた部分を引用する。大村先生は、子どもの作文を添削する時に、ただ「足りない」「よくない」と書くのではなく、先生自身がこうしたら良いなと思う言葉を書いていたようだ。

それで、「こういうことはだめ」と言わずに、「そこのところにこういう気持ちが書かれていればよかったのになあ」思ったときは、「こういう気持ちをこういうふうに書いてごらん」と言わないで、そのことを実際に書いて見せたのです。

子どもとしては、せっかく一生懸命、精いっぱい上手に書いて先生に出したわけです。それをこれは大変もの足りないなんて言われたら、がっかりします。もの足りないとは言わずに、こんなことが書いてないけれど、きっとこんなふうだったろうと思うことを、私がその子になり代わって書き足したのです。それではその子が書いたのではないからだめだ、とお思いになるかもしれませんが、そういうものではありません。それを子どもが読むと、自分が書いたような錯覚をおこすのです。そして、「そうだったなあ、本当にそうだった、こんな気持ちだった」などと思って、そのようにして、いつか少しずつ、心が耕されて成長するのではないでしょうか。指導者によって書かれた一節を味わいながら育てられていくようでした。(pp.222-223)

引用した文のなかで指摘があるように、アドバイスするのではなく、教師が生徒の作文の続きを書くのは、生徒の力になるのか疑問がある。しかし、それは個々の子どもを見て判断すべきだろう。もし全くかけない子が少し自分の気持ちを書けたときに、その次の文章を先生が書いて、それを見て少しずつ学んでいくのはありかもしれないと思った。今後、言葉を書いたり、話したりして相手に伝えるということはとても重要になってくる。話す力は学校での話し合い活動ももちろんだが、日々のコミュニケーションの中で培われていくものでもある。一方で、書く力を養うタイミングはほとんど学校の中でしかないかもしれない。国語の教師を目指す身として、書く力をつける授業は意識していきたい。

 

優劣を超える教室へ

最後に、大村はま先生について書かれた刈谷夏子氏の「大村はま 優劣のかなたに」と関連する部分を引用する。単元学習の項目で書かれていた文章だ。

しかし、そこには、人と比べるというような、さもしい姿になる隙間がありませんでした。そういう、劣等感が出てきたり、優越感がわいたりして、教室を修羅場にしてしまう、成長ということから、——自分を伸ばすということからほど遠い、魅力なんかからはますます遠い、そういう雰囲気になるというのは、一つのゆるみだと思います。

力のある子どもが、力いっぱいやっていない隙間に忍びよるのが、そういうつまらない影です。

できない子どもが、できないことを気にしたりするのも、やはり、隙間だと思います。ゆるみだと思います。

ほんとうに、おもしろいことを、一生懸命やっている、その心の中に、人と比べる隙間はないと思います。(pp.189-190)

「ほんとうに、おもしろいことを、一生懸命やっている」状態がどの子どもたちにもある授業。そこを目指すためには、まず先生が教師の仕事を「ほんとうに、おもしろいことを、一生懸命やっている」必要があるのではないだろうか。おそらく大村先生は国語の授業が大好きで、子どもたちの成長が大きな喜びだったのだろう。だからこそ、子どもたち一人一人に優劣を感じず、それぞれが喜びを見いだして、成長するためにはどのような授業をしたらいいのか考え続けたのだろう。

 

 

大村先生は、戦中から戦後にかけて新人教師時代を過ごしている。最近、本を読んでいたり、大学の授業を受けていて思うのは、戦時中に子どもだった世代の使命感の強さだ。作家や俳優や、大村はま先生を含めた教師はもちろん、そのような人が多いと感じる。その人たちが作り上げてきたものは、不易として今の激動の時代にも学びがあるものが多い。大村はま先生の教師という仕事に対する誇りを強く感じた本だった。教育が大きな転換点を迎えている今だからこそ、教育の根本にあるものを再確認するために多くの先生方や教員志望の学生に読んでほしい。

 

 

『二つの祖国 ①~④』山崎豊子

2016年。100冊目。

二つの祖国 第1巻 (新潮文庫 や 5-45)

二つの祖国 第1巻 (新潮文庫 や 5-45)

 

9月20日に読了した山崎豊子さんの『二つの祖国④』で、2016年に読んだ本が100冊になった。山崎豊子さんの作品は、去年の今頃に伯父から『沈まぬ太陽』を薦めてもらってからはまった。これまで『沈まぬ太陽』『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』を読んだ。私が好きな歴史小説家の飯島和一さんと同様、膨大で綿密な取材に裏付けられた作品は、読み応えがあり読後のずっしりとした感覚が何とも言えない。山崎豊子さんの戦争三部作の3作目となる『大地の子』、そして遺作となった『約束の海』は、大学卒業までに読み切りたいと思っている。『二つの祖国』も『あん』と同様に、感想つきでFacebookで紹介した。その感想を少し膨らませて、書評を書いていきたい。

  

山崎豊子さんの戦争三部作の2作目『二つの祖国』。1作目の『不毛地帯』は、シベリア抑留を経験した陸軍中佐で大本営参謀の壱岐正が、戦後の日本を舞台に商社で血みどろの商戦を繰り広げる物語だ。全5巻ののうち、1巻目で恐ろしく過酷なシベリア抑留を、残り4巻で身を削る商社での戦いを描いている。時代はかなり違うが、この本を通して商社の仕事を理解することができた。

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

不毛地帯 (第1巻) (新潮文庫 (や-5-40))

 

 それに比べ、『二つの祖国』は、日系2世アメリカ人の天羽賢治の生涯を克明に記しながら、全巻に渡って実際の戦場や軍事裁判、戦争によって引き起こされる苦悩を描いている。この作品を読んでいると「戦争」というものを否が応でも考えさせられる。

 

戦場で味方のアメリカ軍にも手榴弾を投げられる可能性に怯える日系2世の兵士達。彼らは、アメリカに忠誠を示すために、血のつながる日本軍と対峙して手柄を立てなければならない。次に引用するのは、アメリカ本土在住の日系2世とハワイ在住の日系2世の会話である。収容所とは、大戦当時アメリカに住んでいた日系人たちが強制的に連れて行かれた劣悪な環境の共同住宅地のことである。

 

「これは悪かった、僕らはハワイでは多民族で、大手を振って生活して来れたが、メイン・ランドでは日系人少数民族で、差別がひどいということは、聞いていた、だが、僕ら日系二世が力を合わせてその優秀さ、忠誠心を示せば、収容所へ入れられている君らの家族はきっと早く出されるよ、そのためにもガッツで行こう!」

「OK、アメリカの軍隊の中で最も勇敢に闘い、手柄をたてるのは、日系人だということを示そう、たとえ戦場がどこであっても!」

 ハワイ二世とメイン・ランド二世たちは、もう一度、しっかり手を握り合った。(p.428)

 

「手柄をたてる」ということはつまり、多くの日本人を殺すということと同義である。同じ日本人の血が流れている者同士で殺しあわなければいけないとは、なんという悲劇であろう。ようやく戦争が終わってアメリカに帰ってきても、一部は日本に戻っても、彼らを待っているのは容赦のない差別。戦場でも、そしてそれぞれが帰っていく場所でも、自分たちの祖国とは何なのか、という問いを常に突きつけられ、想像し難い苦悩を経験したのだ。そして、戦争という狂気によって想像を絶する数の人々が亡くなったことも忘れてはならない。

 

この本を読んで、戦争を経験した山崎豊子さんの使命感のようなものが伝わってきた。主人公の日系2世の天羽賢治は、新聞記者としての優れた日本語と英語の能力を買われ、極東国際軍事裁判のモニターを務めることになる。裁く側の祖国アメリカと裁かれる側のもう一つの祖国日本との狭間で葛藤し続ける。裁判の描写を読むと日本がどのように戦争に突入していったのか、どのように戦争責任が問われたのか、なども理解することができる。特に、開戦時のパール・ハーバーがどのようにして宣戦布告前の攻撃になってしまった背景や、開戦時に同時並行で行われていた日米交渉の目的などが、裁判の中で語られる部分は、興味深かった。

新潮文庫版だと約500ページ全4巻と、かなり長いので気軽に読むことはできないが、日系2世の人々のミクロな視点と極東国際軍事裁判というメタ的な視点で戦争を捉えることのできる読み応えのある作品だ。


 ここで、少し話は変わるが、戦争に関連して平和教育の話題を論じていく。昨今の教育界では未来の社会を見据えた教育改革が盛んにさけばれている。(言葉としての)アクティブ・ラーニング、グローバル教育、プログラミング教育などなど。もちろん未来を見据えた能力の育成は大切だと思う。一方で、「戦争」をはじめとする過去の悲惨な出来事にも目を向け続けることも必要なのではないだろうか。未来と過去は二項対立ではなくつながっているものだ。しかし、私を含め「戦争」というものを全く体験していない、体験者ともほとんど関わりのない世代が大多数を占めるようになった現代では、未来とつながるはずの過去が忘れがちにならざるを得ない。だからこそ、今一度過去に向き合うということに自覚的にならなければいけないだろう。『二つの祖国』を読んでこのようなことを感じた。

 

その1つの方法として、私はやはり本を挙げたいと思う。本を読むことで自分ができないことを疑似体験できる。それは、過去の出来事についても同じことだ。私自身これからも過去を綴った本を読んでいきたいし、もし子どもたちに授業をする時が来たら本を通して戦争をはじめとする過去の出来事について一緒に学びたいと思った。

『あん』ドリアン助川

 2016年。38冊目。

([と]1-2)あん (ポプラ文庫)

([と]1-2)あん (ポプラ文庫)

 

9月20日に2016年100冊目を読み終わり、印象に残った2冊の本を簡単な感想つきでFacebookで紹介した。その感想を少し膨らませて、書評を書いていきたい。内容もかなり書いてしまっているので、先に断っておく。ただ、この作品は、登場人物の発する言葉によって物語の素晴らしさを感じたので、内容を知っていても楽しめる作品だと思う。

 

この本を一言で表すなら、『優しく「死」に触れることのできる作品』だと感じた。

 

小さなどら焼き屋で働く主人公の千太郎の前に、どんなに安い給料でも良いから働かせてくれ、と70歳を過ぎた手の不自由な女性・徳江さんがあらわれる。そして、徳江さんの作るあんは大評判になり、店は繁盛していく。しかし、徳江さんに関するある噂が流れ、徳江さんはお店を辞めてしまい、店ももとのように閑散としてしまう。

 

その噂とは、徳江さんがハンセン病患者なのではないのか、ということだ。事実、彼女は過去にハンセン病患者として認定され、隔離されていたのだ。手が不自由なのは、その後遺症である。10代の青春時代に無理やり隔離され、同じハンセン病患者としか交わらない地区で過ごしてきた徳江さんは、「自分が生きる意味とは何なのか」「人が生きる意味とは何なのか」「自然が存在する意味とは何なのか」という問いを考えずにはいられなかった。そんな徳江さんから発せられる言葉は、千太郎や徳江さんと関わる人、そして私たち読者に感動を与えてくれる。

 

233ページから、死を覚悟した徳江さんが千太郎に向けて残した手紙を、千太郎が読む場面がある。この手紙の中には、徳江さんが人生で感じてきた珠玉のメッセージが込められている。その一部を引用したい。 

 なんと美しい月だろうと思いました。もう見蕩れてしまって、自分がやっかいな病気と闘っていることや、囲いのなかから出られないということもその時は忘れていたのです。

 すると、私はたしかに聞いたような気がしたのです。月が私に向かってそっとささやいてくれたように思えたのです。

 お前に、見て欲しかったんだよ。

 だから光っていたんだよ、って。

 その時から、私にはあらゆるものが違って見えるようになりました。私がいなければ、この満月はなかった。木々もなかった。風もなかった。私という視点が失われてしまえば、私が見ているあらゆるものは消えてしまうでしょう。ただそれだけの話です。

 でも、私だけではなく、もし人間がいなかったらどうだったか。人間だけではなく、およそものを感じることができるあらゆる命がこの世にいなかったらどうだったか。

 無限にも等しいこの世はすべて消えてしまうことになります。

 ずいぶん誇大妄想だなと店長さんは思うかもしれません。

 でも、この考え方が私を変えたのです。

 私たちはこの世を観るために、聞くために生まれてきた。この世はただそれだけを望んでいた。だとすれば、教師になれずとも、勤め人になれずとも、この世に生まれてきた意味はある。

 私は早めに病気が完治したため、後遺症をさほど気にせず外出ができました。どら春でも働かせてもらいました。本当に幸運だったと思います。

 でも世の中には、生まれてたった二年ぐらいでその生命を終えてしまう子供もいます。そうするとみんな哀しみのなかで、その子が生まれた意味はなんだったのだろうと考えます。

 今の私にはわかります。それはきっと、その子なりの感じ方で空や風や言葉をとらえるためです。そのが感じた世界は、そこに生まれる。だから、その子にもちゃんと生まれてきた意味があったのです。(pp.235-236) 

 

引用した部分のなかに出てくる子どもの話は、当事者ではないし、私も命に限りがあると実感できているわけではないので、その時になって徳江さんのように素直に受け取ることができるかは分からない。ただ、この手紙の部分を深夜に読んでいて、強く感じたことがあったようだ。その時に感じたことを、思わずメモした紙が挟まっている。それは、次のような言葉だ。

 

徳江さんは、千太郎がいて、ワカナちゃんがいて、森山さんがいて、月と自然があって、義明がいて、関わったたくさんの人がいて、そして、徳江さん自身がいて生きていた

(2016年4月2日(土) 0:27)

 

ワカちゃんはどら焼き屋に遊びに来て、徳江さんとよく話をしていた高校生の女の子。森山さんはハンセン病患者で徳江さんと仲の良い女性。義明さんはハンセン病患者であり、徳江さんの夫となった人だ。

 

この時、私が何を思ってこの文章を書いたのかはあまり覚えていない。ただ、今この文章を見た時に、私が思っていたことを推測すると、つまりこういうことなのだろう。私たちは何かを成し遂げるために生きているのではなく、存在そのものが自分にとっても、自分以外の全てにとっても価値がある、ということだ。もちろん、何か自らが成し遂げたいと思えるものを持っているということは、生きる張り合いになるだろう。生きる希望にもなるだろう。しかし、それがないからといって、その人の命に価値がないということには絶対にならない。私がいることで、月を認識し、はじめて月が存在する。これは人と人との間にも成り立つ関係であり、この関係が網の目のようになっていて、全ての人やものの存在価値を証明しているのだ。このことに人生の中で気づけるかによって、その人の命に対する感性は大きく変わってくるだろう。

 

この本の終盤に徳江さんは亡くなってしまう。静かに、亡くなっていく。しかし、それ以上に多くのことを千太郎やワカナちゃんたちに残して死いく。

誰かが死んでしまうということは悲しい。自分がいつか死ぬんだと気づくことは恐ろしい。しかし、生きているもの全ては、死を避けることはできない。そして、「死」というものに触れることによって、考えることによって、私たち人間は自分の生き方を本当に考えるようになるのではないだろうか。「死」が自分にとって身近ではない子どもや私のような人間が(そうではない人も多くいると思いますが)、優しく、けれど、軽くはない「死」に触れることができる素敵な作品だと思う。多くの人にこの作品を読んでほしい。

『奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀』伊藤氏貴 

2016年。58冊目。

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

 

ゼミの友達が本を処分する時に譲ってもらった本だ。

灘校の伝説の国語教師・橋本武先生について書かれている。橋本先生は、中勘助の『銀の匙』を中学校3年間を通して読み解いていくくという国語の授業を実践された方だ。私自身も、国語や本が好きで、いつか国語の教員になりたいと思っている。授業の技術的な面でも参考になったし、国語や言葉の力が人生を豊かにするうえで大切なものなのだということを改めて感じることができた。

文章を引用しながら、私がこの本を読んで感じたことをまとめていきたいと思う。

「ふつうに読むだけでは、なあんにも残りませんからねえ……。自分が中学生のときに国語でなにを読んだか覚えていますか?私が教師になったときに自問自答して、愕然としたんですよ。何もおぼえてないって。先生に対する親しみはあっても、授業そのものに対しての印象がゼロに近い……。そうか、自分はそんなゼロになってしまうようなことをやっているんだと思って、すごくつらくなったんですよねあ。それならなんとかして、生徒に後々まで残るように教えられるものはないだろうか。子どもたちのそれからの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです。」(p.22)

橋本先生が『銀の匙』を国語の教材に選び、それを中学3年間かけて読解する授業を行うようになった理由だ。私は、国語の授業で扱ったいくつかの作品は今でも覚えている。『ちいちゃんのかげおくり』『握手』『「である」ことと「する」こと』など。ただ、思い出してみると意外と少ないし、授業で何をやったのかは、あまり覚えていない。おそらく気付かないうちに自分の血肉にはなっているとは思うが、国語の授業でならったことが今に生きているとは実感しにくい。どちらかというと、国語の教材以上に当時読んでいた「本」によって深く感銘を受けたことの方が多いかもしれない。そういった問題意識をもとに、実際に授業を『銀の匙』1つで行ってしまうのは、灘校の自由さを考慮しても橋本先生のすごいところだ。

私自身も教科書の教材以外の作品も授業で扱いたいと思っている。ただ、私が普段読んでいるような本は少なくとも200ページ以上あるので、なかなか授業で扱えるような長さのものではない。そう考えると、短編や中編で心に響くような作品を、自分の中でストックとしてたくさん持っていると、国語教師としてその時にあわせた授業ができるのではないか、と思っている。

 

次に引用するのは、『銀の匙』からどんどん横道にそれていく授業の1場面だ。

配られたプリントを見ると、「丑紅」の意味が書いてあった。

《丑紅—―寒の丑の日に売る紅で、口中のあれを防ぐという。》

「ふーん、丑の日かあ……」

と、なんとなくわかったつもりになった瞬間に、エチ先生のひときわ大きな声が響いた。

「では、少しだけ『銀の匙』から離れてみましょう」(p.26)

橋本先生は、このあと古代中国の暦〝十二支〟と〝十干〟の説明をして、話は日常で使われている〝十二支〟や〝十干〟の話に移っていく。

「ふたつの暦を合わせると60通りの組み合わせになります。……で、例えば『甲子園球場』。みんな知っているこの球場は、大正13年、〝甲子〟の年に出来たので、そこから名前がついたんですね。〝甲子〟は十干十二支それぞれの第一番目の組み合わせで〝えとがしら〟とも呼ばれる、特にめでたい年とされています」

丑紅から甲子園球場に広がっていった話は、12歳のふくらみかけた知的好奇心を刺激した。(略)

「明日は中国の季節、二十四節気の話をしましょう」

エチ先生は脱線の予告で、授業を締めくくった。(p.27)

その日から敏充の目には、大阪・八尾の自宅までの行き帰りなど、それまで自分にとって無味乾燥にしか感じられなかった神社や自社の名前、料理店や駅の看板などが、すべて意味あるものとして映るようになった。(pp.27-28)

ここでは、橋本先生が『銀の匙』を授業の中で、どのように広げていったのかが描写されている。「丑紅」というたった1つの言葉から、ここまで広げて生徒の知識を刺激する授業は、橋本先生が『銀の匙』を読み込み、教材研究をして細部まで授業準備を行ったからできたことだろう。そして、この授業場面で私が感じたことは、「由来を探る」ことの面白さだ。普段私たちが何気なく目にしているものや使っている言葉の中には、言葉の意味は分かっているが、なぜその意味にこの言葉に当てはまっているのか、ということが意外と曖昧なものが多いはずだ。「矛盾」という言葉がある。辞書で調べると、「論理的に辻褄があわないこと」とある。私は、「矛盾」という言葉が「論理的に辻褄があわないこと」という意味だとは知ってはいたが、逆になぜ「論理的に辻褄があわないこと」を「矛盾」というのかを知らずにいた。中学校の授業で初めて、中国の古典の矛と盾の話から来ていると知った時は、今でも印象に残っている。漢字の成り立ち、片仮名・平仮名の作られ方も、言葉や文字の由来の1つだろう。言葉の由来を知ること、言葉に使われている「言葉」の意味を知ること。これらは、言葉を学ぶ面白さの第一歩であり、勉強と日常を結びつける大きな手段だと感じた。日常を言葉から広げていくことは、引用した最後の部分のように、世界を見る目を広げることにつながるのだろう。

 

次に国語が人生の根幹になっている、と橋本先生が持論を展開する部分を引用する。

今回の取材のなかで、エチ先生が何度か繰り返した言葉がある。

「国語はすべての教科の基本です。〝学ぶ力の背骨〟なんです。」(p.77)

「受験勉強は、記憶一点張りの単なるツメコミでまかなえるものではないのです。観察力、判断力、推理力、総合力などの結集がものをいいます。その土台になるのが、国語力だと思います。」(p.79)

「国語力があるのとないのでは、他の教科の理解力が大きく違ってきますからねえ。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの真髄に近づいていこうとする、前に進もうとする力こそが〝学ぶ力の背骨〟であり、国語力だと思います。」(pp.79-80)

「社会に出て、『自分はこんな人間だ』とか、『ここでこんなことをしたいんだ』と表現する力も国語ですから。国語力は〝生きる力〟と置き換えても良い。どんなに時代や環境が変わっても、背骨がしっかりしていれば、やってけるんです。だから、まず中学に入学したら、何を差し置いても、生徒には国語を好きになってほしかったんです。」(p.80)

私も国語が大好きだ。この橋本先生の言葉を見て、改めて国語が好きで良かったな、と思った。ここでは、橋本先生が述べている「国語力」について私の考えを述べることはしない。それ以上に、強烈に感じたことは、この本の著者の伊藤さんが書いた次の言葉に表されている。

〝奇跡の教室〟の源流の一滴は、一教師の揺るぎない願いであった。(p.80)

ここまで「国語力」について確信を持って言える橋本先生は、本当に国語が好きだったんだろうな、と思う。国語が大好きで、それが人生において大切だと確信しているからこそ、信念を貫く『銀の匙』の授業を行い、それが生徒にも大きな影響を与えたのだと思う。教科を教える教員は、様々な能力を求められるとは思うが、何より自分がその教科を好きである、ということが大切なのだと感じた。

 

その「国語力」をどのように育成するか。その点について書かれた部分を引用する。

銀の匙』を読み解く手助けになり、作品世界の美しさと奥行きを生徒自身の書き込みによって体感していくこのプリントは、編集技術の進んだいま見ても、ため息が出るような完成度である。(略)

全てが橋本のハンドメイド、細部まで徹底して工夫が凝らされたプリントによって、生徒は板書を写す煩わしさからも解放され、授業中、心おきなくタイムスリップし、〝自分の思いを書く〟作業に没頭できた。

節ごとに〔内容〕をまとめ、〔鑑賞〕では自分が美しいと思った文章を書き抜く。〔短文練習〕は、『銀の匙』で使われた語句を使って自分で自由に文章をつくる。(p.91)

このプリントも先に書いたように、橋本先生の教材研究の賜物だろう。ただ板書を写すだけではなくて、自分の考えを書く欄を十分に設けられるようなプリントを、私の授業でも作りたい。「節ごとに~」からは、プリント以外に通常の授業の進め方も書かれている。学校の国語の授業は、もちろん1回では終わらない。だからこそ、どの先生にも基本的な授業のルーティーンがある。現在の学校では、橋本先生のように『銀の匙』を教科書として中学3年間授業をすることは難しいだろう。橋本先生が実践していた授業の工夫で、現在の学校でも使えるような実践を、もう少し詳しく書いてほしかった。ただ、それはこの本の本分ではないと思うので、自分自身の勉強として、他の本を読んで学ぼうと思う。

 

国語の授業とは関係ないが、本が大好きな私にとって、とても共感する一節で、印象に残った部分を引用する。

息子の読書好きに協力したのは、読書好きの母だけではなかった。

「父親が自分のために本棚をつくってくれたんですよ。嬉しかったですねえ……。その棚に本が一冊一冊たまっていくのが、また嬉しい」(pp.53-54)

この文章を読んで、橋本先生は本当に本が好きなんだなぁ、と伝わってきた。自分も本が大好きなので、なんだか読んでる私も嬉しくなった。

 

最後に、第7章「見果てぬ夢」と「あとがき」から引用して、素晴らしい授業を実践し続ける教師に共通する点についてまとめていきたい。

 

第7章「見果てぬ夢」を読んで感じたのは、終わりのない「探求心」だ。

この日、これが取材の最後の質問と心に期して、橋本に、次の言葉を投げかけた。

「では、これで『銀の匙』授業のほんとうの目的が果たされたということになりますね。100点満点ということになりますね。」(p.210)

この時、橋本先生は98歳。次の答えは「我々の予想を見事に裏切った。」とあるように、私の予想も裏切った。

「いま、私は、『銀の匙』の新しいテキスト作りに熱中しています。今の生徒に合った『銀の匙』研究ノートです。このノートでは、以前のものよりも〝調べること〟そして〝書きこむこと〟の分量を増やしています。ですから、これが完成しないと、満点とは言えません。

まあ、それ以外にもやりたいことはいろいろあるし……。

もういっぺん還暦迎えるまで、120歳までは生きないといけないようですな。」(p.211)

なんという人だろうか。本当に『銀の匙』を愛し、国語という教科を愛しているのだろう。この飽くなき探求心には、思わず笑ってしまった。 

 

そして、「あとがき」を読んで感じたのは、どこまでも深い「謙虚な心」だ。

言うなれば、(『銀の匙』を3年間かけて読む授業という)こんな突拍子もないことが、自分の思うがままにやりたいだけやらせていただけたのも、灘という学校の全く自由な校風によるもので、この学校にご縁があったことに感謝せずにはいられません。縁というものは自分の知らないところで結ばれてゆくものですから、このように導いていただいた神仏祖霊の冥護にひれ伏す思いでいます。(p.209)

まず自分が勤めた灘校に感謝し、その感謝の心は祖先にまで深まっていく。微塵も自分の力だと考えず、ここまで謙虚になれるのか、と心底感動した。

 

この2つの「探求心」と「謙虚な心」。別なところで同じような言葉を聞いた。TFJという団体を経由して小学校教師を勤め、その後企業に勤めているある人に、「素晴らしい先生の共通点は何ですか?」と聞いた時だ。その方は、「自分の実践に満足せずに、常にリフレクションをすること」、そして、「他の先生の実践でも、子どもたちのために良いと思ったことはどんどん取り入れていく謙虚さ」と言っていた。まさに、私がこの本を読んで、橋本先生に感じたことそのものだ。

 

橋本先生は2013年9月に亡くなられた。最後の最後まで「探求心」と「謙虚な心」を持って逝かれたのだろう。教師になりたいと思っている人にとっては、必見の1冊だ。

『「原因」と「結果」の法則』ジェームズ・アレン

2016年。26冊目。

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

 

就活のセミナーで社長がおすすめしていた本。文字も大きく100ページにも満たない本ですが、気づきの多い内容でした。作者のジェームズ・アレンは、『道は開ける』『人を動かす』で有名なデール・カーネギーにも大きな影響を与えた方です。

 

印象に残った部分をあげながら、「結果」を出すために大切だと感じたことをまとめていきたいと思います。

 

人々の多くは、環境を改善することには、とても意欲的ですが、自分自身を改善することには、ひどく消極的です。かれらがいつになっても環境を改善できないでいる理由が、ここにあります。(p.28)

 

この本では、自分の思いが結果を生み出す、ということを一貫して主張しています。環境もその結果のうちと考えられています。

 

確かに私も自分の良くない状況を環境のせいにしてしまい、環境さえ変われば自分も変われる、と思ってしまう時があります。もちろん周りに優秀な人がいるのとそうではないのでは、自分の成長は大きく変わってくると思うので、一概に環境を変えることが悪いとは言えません。しかし、自分の状況を良くしたいと思った時に、すぐに環境のせいにしてしまう人は、どのような環境に行ったとしても少し良くない場面に出くわしたら、また環境を変えてしまうのではないでしょうか。そうではなく、まずは自分はどうなのか、と振り返ることから始め、自分の思いや行動を改善していくことが何よりも大切だと感じました。そうすることによって、環境もおのずと変わってくるはずです。

 

大きな目標を発見できないでいる人は、とりあえず、目の前にある自分がやるべきことに、自分の思いを集中して向けるべきです。その作業がいかに小さなものに見えようと、問題ではありません。そうやって、目の前にあるやるべきことを完璧にやり遂げるよう努力することで、集中力と自己コントロール能力は確実に磨き上げられます。

そして、それらの能力が十分に磨き上げられたとき、達成が不可能なものは何ひとつなくなります。間もなく、とても自然に、より大きな目標が見えてくるはずです。(p.55)

 

目標が見えない時は、とりあえず目の前のことをする。このことは誰でも知っていると思います。(できるかどうかは別ですが。)しかし、なぜ目の前のことをやるべきなのでしょうか。それは、「集中力と自己コントロール能力」を磨くためだということを、この本を読んで初めて気づきました。他にも理由はあると思いますが、特に「自己コントロール」はものすごく大切だと思います。どんなことを達成するためにも、地道な努力が必要です。壁にぶち当たった時に、目標を見失わず、今やるべきことをやるためには、自己コントロールがとても大切なのです。ジェームズ・アレンは、自己コントロールについて次のようにも言っています。

 

穏やかな心は、この上なく美しい知恵の宝石です。それは、自己コントロールの長く粘り強い努力の結果です。(p.83)

穏やかな人間は、自分自身を正しくコントロールすることのできる人であり、自分自身を他の人たちに容易に順応させられます。(p.83)

人間は、穏やかになればなるほど、より大きな成功、より大きな影響力、より大きな権威を手にできます。ごく一般の商人でさえ、より確かな自己コントロール能力と穏やかさを身につけることで、より大きな繁栄を果たせるようになります。なぜならば、人々はつねに、冷静で穏やかにふるまう人間との関わりを好むものであるからです。(p.84)

 

「穏やか」というと「落ち着いている」「優しい」ということをイメージしますが、ジェームズ・アレンは、「穏やかな心」を「強い心」だと言っています。自己コントロールによって、欲望を排除し続け、自分のやるべきことを積み重ねることによって得られるのが、「穏やかな心」なのです。ただ、私が「穏やかな心」にまで到達していないので、どのような状態が「穏やかな心」かイメージできないので、「自己コントロール」から始めてみたいと思います。具体的な自己コントロールの対象となるのは、自分の欲望です。

 

もしあなたが自分の心と人生を根気強く観察し、分析したならば、弱さとはそもそも身勝手な欲望から発しているものである、ということにも気づくはずです。(p.64)

人間は、もし成功を目指すならば、自分の欲望の(すべては無理でも)かなりの部分を犠牲にしなくてはならないのです。(p.65)

 

生活をしていると、様々な欲望が湧き起ってきます。「欲望」と仰々しくなくても、「~しなきゃ良かった…」と気づいたら自分に負けてしまう時があるはずです。そんな時に、自己コントロールをして欲望を排除する。これは、意識してみればすぐにできることです。「~したい」と思った時に、一歩立ち止まって「やる必要があるかどうか」を考えて、小さなエネルギーを使えば、自分をコントロールできるはずです。時には自分の欲求に負けても良い時はあると思います。全ての欲望を排除しなければいけない、というわけではありません。ここで大事なのは、欲望の内容ではなく、自己コントロールをできるかできないか、なのでです。

 

自己コントロールを行って、自分の中で良い「原因」を積み重ねることで、「結果」は自ずと出てくるのです。小さな日々の自己コントロールが、「結果」のために大切だと改めて気づかされた1冊でした。