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『奇跡の教室 伝説の灘校国語教師・橋本武の流儀』伊藤氏貴 

2016年。58冊目。

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち

 

ゼミの友達が本を処分する時に譲ってもらった本だ。

灘校の伝説の国語教師・橋本武先生について書かれている。橋本先生は、中勘助の『銀の匙』を中学校3年間を通して読み解いていくくという国語の授業を実践された方だ。私自身も、国語や本が好きで、いつか国語の教員になりたいと思っている。授業の技術的な面でも参考になったし、国語や言葉の力が人生を豊かにするうえで大切なものなのだということを改めて感じることができた。

文章を引用しながら、私がこの本を読んで感じたことをまとめていきたいと思う。

「ふつうに読むだけでは、なあんにも残りませんからねえ……。自分が中学生のときに国語でなにを読んだか覚えていますか?私が教師になったときに自問自答して、愕然としたんですよ。何もおぼえてないって。先生に対する親しみはあっても、授業そのものに対しての印象がゼロに近い……。そうか、自分はそんなゼロになってしまうようなことをやっているんだと思って、すごくつらくなったんですよねあ。それならなんとかして、生徒に後々まで残るように教えられるものはないだろうか。子どもたちのそれからの生活の糧になるようなテキストで授業がしたい、そう思ったんです。」(p.22)

橋本先生が『銀の匙』を国語の教材に選び、それを中学3年間かけて読解する授業を行うようになった理由だ。私は、国語の授業で扱ったいくつかの作品は今でも覚えている。『ちいちゃんのかげおくり』『握手』『「である」ことと「する」こと』など。ただ、思い出してみると意外と少ないし、授業で何をやったのかは、あまり覚えていない。おそらく気付かないうちに自分の血肉にはなっているとは思うが、国語の授業でならったことが今に生きているとは実感しにくい。どちらかというと、国語の教材以上に当時読んでいた「本」によって深く感銘を受けたことの方が多いかもしれない。そういった問題意識をもとに、実際に授業を『銀の匙』1つで行ってしまうのは、灘校の自由さを考慮しても橋本先生のすごいところだ。

私自身も教科書の教材以外の作品も授業で扱いたいと思っている。ただ、私が普段読んでいるような本は少なくとも200ページ以上あるので、なかなか授業で扱えるような長さのものではない。そう考えると、短編や中編で心に響くような作品を、自分の中でストックとしてたくさん持っていると、国語教師としてその時にあわせた授業ができるのではないか、と思っている。

 

次に引用するのは、『銀の匙』からどんどん横道にそれていく授業の1場面だ。

配られたプリントを見ると、「丑紅」の意味が書いてあった。

《丑紅—―寒の丑の日に売る紅で、口中のあれを防ぐという。》

「ふーん、丑の日かあ……」

と、なんとなくわかったつもりになった瞬間に、エチ先生のひときわ大きな声が響いた。

「では、少しだけ『銀の匙』から離れてみましょう」(p.26)

橋本先生は、このあと古代中国の暦〝十二支〟と〝十干〟の説明をして、話は日常で使われている〝十二支〟や〝十干〟の話に移っていく。

「ふたつの暦を合わせると60通りの組み合わせになります。……で、例えば『甲子園球場』。みんな知っているこの球場は、大正13年、〝甲子〟の年に出来たので、そこから名前がついたんですね。〝甲子〟は十干十二支それぞれの第一番目の組み合わせで〝えとがしら〟とも呼ばれる、特にめでたい年とされています」

丑紅から甲子園球場に広がっていった話は、12歳のふくらみかけた知的好奇心を刺激した。(略)

「明日は中国の季節、二十四節気の話をしましょう」

エチ先生は脱線の予告で、授業を締めくくった。(p.27)

その日から敏充の目には、大阪・八尾の自宅までの行き帰りなど、それまで自分にとって無味乾燥にしか感じられなかった神社や自社の名前、料理店や駅の看板などが、すべて意味あるものとして映るようになった。(pp.27-28)

ここでは、橋本先生が『銀の匙』を授業の中で、どのように広げていったのかが描写されている。「丑紅」というたった1つの言葉から、ここまで広げて生徒の知識を刺激する授業は、橋本先生が『銀の匙』を読み込み、教材研究をして細部まで授業準備を行ったからできたことだろう。そして、この授業場面で私が感じたことは、「由来を探る」ことの面白さだ。普段私たちが何気なく目にしているものや使っている言葉の中には、言葉の意味は分かっているが、なぜその意味にこの言葉に当てはまっているのか、ということが意外と曖昧なものが多いはずだ。「矛盾」という言葉がある。辞書で調べると、「論理的に辻褄があわないこと」とある。私は、「矛盾」という言葉が「論理的に辻褄があわないこと」という意味だとは知ってはいたが、逆になぜ「論理的に辻褄があわないこと」を「矛盾」というのかを知らずにいた。中学校の授業で初めて、中国の古典の矛と盾の話から来ていると知った時は、今でも印象に残っている。漢字の成り立ち、片仮名・平仮名の作られ方も、言葉や文字の由来の1つだろう。言葉の由来を知ること、言葉に使われている「言葉」の意味を知ること。これらは、言葉を学ぶ面白さの第一歩であり、勉強と日常を結びつける大きな手段だと感じた。日常を言葉から広げていくことは、引用した最後の部分のように、世界を見る目を広げることにつながるのだろう。

 

次に国語が人生の根幹になっている、と橋本先生が持論を展開する部分を引用する。

今回の取材のなかで、エチ先生が何度か繰り返した言葉がある。

「国語はすべての教科の基本です。〝学ぶ力の背骨〟なんです。」(p.77)

「受験勉強は、記憶一点張りの単なるツメコミでまかなえるものではないのです。観察力、判断力、推理力、総合力などの結集がものをいいます。その土台になるのが、国語力だと思います。」(p.79)

「国語力があるのとないのでは、他の教科の理解力が大きく違ってきますからねえ。数学でも物理でも、深く踏み込んで、テーマの真髄に近づいていこうとする、前に進もうとする力こそが〝学ぶ力の背骨〟であり、国語力だと思います。」(pp.79-80)

「社会に出て、『自分はこんな人間だ』とか、『ここでこんなことをしたいんだ』と表現する力も国語ですから。国語力は〝生きる力〟と置き換えても良い。どんなに時代や環境が変わっても、背骨がしっかりしていれば、やってけるんです。だから、まず中学に入学したら、何を差し置いても、生徒には国語を好きになってほしかったんです。」(p.80)

私も国語が大好きだ。この橋本先生の言葉を見て、改めて国語が好きで良かったな、と思った。ここでは、橋本先生が述べている「国語力」について私の考えを述べることはしない。それ以上に、強烈に感じたことは、この本の著者の伊藤さんが書いた次の言葉に表されている。

〝奇跡の教室〟の源流の一滴は、一教師の揺るぎない願いであった。(p.80)

ここまで「国語力」について確信を持って言える橋本先生は、本当に国語が好きだったんだろうな、と思う。国語が大好きで、それが人生において大切だと確信しているからこそ、信念を貫く『銀の匙』の授業を行い、それが生徒にも大きな影響を与えたのだと思う。教科を教える教員は、様々な能力を求められるとは思うが、何より自分がその教科を好きである、ということが大切なのだと感じた。

 

その「国語力」をどのように育成するか。その点について書かれた部分を引用する。

銀の匙』を読み解く手助けになり、作品世界の美しさと奥行きを生徒自身の書き込みによって体感していくこのプリントは、編集技術の進んだいま見ても、ため息が出るような完成度である。(略)

全てが橋本のハンドメイド、細部まで徹底して工夫が凝らされたプリントによって、生徒は板書を写す煩わしさからも解放され、授業中、心おきなくタイムスリップし、〝自分の思いを書く〟作業に没頭できた。

節ごとに〔内容〕をまとめ、〔鑑賞〕では自分が美しいと思った文章を書き抜く。〔短文練習〕は、『銀の匙』で使われた語句を使って自分で自由に文章をつくる。(p.91)

このプリントも先に書いたように、橋本先生の教材研究の賜物だろう。ただ板書を写すだけではなくて、自分の考えを書く欄を十分に設けられるようなプリントを、私の授業でも作りたい。「節ごとに~」からは、プリント以外に通常の授業の進め方も書かれている。学校の国語の授業は、もちろん1回では終わらない。だからこそ、どの先生にも基本的な授業のルーティーンがある。現在の学校では、橋本先生のように『銀の匙』を教科書として中学3年間授業をすることは難しいだろう。橋本先生が実践していた授業の工夫で、現在の学校でも使えるような実践を、もう少し詳しく書いてほしかった。ただ、それはこの本の本分ではないと思うので、自分自身の勉強として、他の本を読んで学ぼうと思う。

 

国語の授業とは関係ないが、本が大好きな私にとって、とても共感する一節で、印象に残った部分を引用する。

息子の読書好きに協力したのは、読書好きの母だけではなかった。

「父親が自分のために本棚をつくってくれたんですよ。嬉しかったですねえ……。その棚に本が一冊一冊たまっていくのが、また嬉しい」(pp.53-54)

この文章を読んで、橋本先生は本当に本が好きなんだなぁ、と伝わってきた。自分も本が大好きなので、なんだか読んでる私も嬉しくなった。

 

最後に、第7章「見果てぬ夢」と「あとがき」から引用して、素晴らしい授業を実践し続ける教師に共通する点についてまとめていきたい。

 

第7章「見果てぬ夢」を読んで感じたのは、終わりのない「探求心」だ。

この日、これが取材の最後の質問と心に期して、橋本に、次の言葉を投げかけた。

「では、これで『銀の匙』授業のほんとうの目的が果たされたということになりますね。100点満点ということになりますね。」(p.210)

この時、橋本先生は98歳。次の答えは「我々の予想を見事に裏切った。」とあるように、私の予想も裏切った。

「いま、私は、『銀の匙』の新しいテキスト作りに熱中しています。今の生徒に合った『銀の匙』研究ノートです。このノートでは、以前のものよりも〝調べること〟そして〝書きこむこと〟の分量を増やしています。ですから、これが完成しないと、満点とは言えません。

まあ、それ以外にもやりたいことはいろいろあるし……。

もういっぺん還暦迎えるまで、120歳までは生きないといけないようですな。」(p.211)

なんという人だろうか。本当に『銀の匙』を愛し、国語という教科を愛しているのだろう。この飽くなき探求心には、思わず笑ってしまった。 

 

そして、「あとがき」を読んで感じたのは、どこまでも深い「謙虚な心」だ。

言うなれば、(『銀の匙』を3年間かけて読む授業という)こんな突拍子もないことが、自分の思うがままにやりたいだけやらせていただけたのも、灘という学校の全く自由な校風によるもので、この学校にご縁があったことに感謝せずにはいられません。縁というものは自分の知らないところで結ばれてゆくものですから、このように導いていただいた神仏祖霊の冥護にひれ伏す思いでいます。(p.209)

まず自分が勤めた灘校に感謝し、その感謝の心は祖先にまで深まっていく。微塵も自分の力だと考えず、ここまで謙虚になれるのか、と心底感動した。

 

この2つの「探求心」と「謙虚な心」。別なところで同じような言葉を聞いた。TFJという団体を経由して小学校教師を勤め、その後企業に勤めているある人に、「素晴らしい先生の共通点は何ですか?」と聞いた時だ。その方は、「自分の実践に満足せずに、常にリフレクションをすること」、そして、「他の先生の実践でも、子どもたちのために良いと思ったことはどんどん取り入れていく謙虚さ」と言っていた。まさに、私がこの本を読んで、橋本先生に感じたことそのものだ。

 

橋本先生は2013年9月に亡くなられた。最後の最後まで「探求心」と「謙虚な心」を持って逝かれたのだろう。教師になりたいと思っている人にとっては、必見の1冊だ。